1593年
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蒲生氏郷が城郭修理の際、播磨国から石川久衛門らを招き屋根瓦(黒瓦)の製造をさせる。
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1647年
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水野源左衛門が陶器焼成を始める。
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1653年
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水野長兵衛が新しく施釉の赤瓦を製作。瓦役所が置かれる。
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1679年
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水野五郎助が水簸法(粘土を水中でかき混ぜ、細・粗粉末を分ける方法)による陶土づくりを始め、優良な製品が作られるようになる。
粗物と呼ばれる民用の瓶、片口、徳利、摺鉢などの粗陶器がつくられる。
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1797年
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佐藤伊兵衛が諸陶場を歴巡し、焼成技術習得に赴任。
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1800年
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佐藤伊兵衛が磁器焼成に成功。幕末の陶磁器業者はのべ59戸に。
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1868年
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戊辰戦争で壊滅的打撃を受ける。
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1871年
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本郷村に若山土、大久保土を発見。
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1880年
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陶祖・水野源左衛門と、磁祖・佐藤伊兵衛の位牌を常勝寺に安置する廟を建設。
以来、毎年旧暦8月16日を期して例祭を執り行う。
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1885年
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五品共進会に出品して、会津本郷焼の名が世に知られるようになる。
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1890年
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第三回内国勧業博覧会に出品し、6名が進歩賞を受賞。「会津本郷焼」を公然と呼称し、国の内外に販路を拡張する。会津本郷焼の隆盛期。
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1892年
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本郷と川南に瀬戸焼の一大ブームが起きる。窯数39戸。
農家の兼業形態として急増し、陶磁器業関係者数は優に1000名を超えた。
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1894年
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本郷陶磁器業組合を設立。
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1895年
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会津本郷焼の後継者を育てるため、「本郷窯業徒弟学校」を設立。
(以後、福島県立会津工業高等学校本郷分校に継承され、1995年に閉校)
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1916年
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本郷大火で町の半分近くを焼失。工場、住宅等200棟が焼失。
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1949年
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会津陶磁器事業協同組合を設立。
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1958年
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ブリュッセル万国博覧会に出品した宗像窯の「にしん鉢」がグランプリを獲得。
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1979年
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会津本郷焼事業協同組合に名称を変更。
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1993年
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通商産業省(現在の経済産業省)より伝統的工芸品の産地指定を受ける
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2020年
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「会津本郷焼」が地域団体商標に登録
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